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 トンマ タロー

昔のことは忘れたが、小学生のころから虫歯があったようだ。歯が痛んでくると、母が富山の薬箱から「神薬」を出して口中に塗ってくれた記憶がある。
甘くてハッカが入っているような薬で、歯など痛くもないのに時々失敬した。
懐かしい味で、今でもあるだろうか。我が家の薬箱の中にはないようだ。
その後昭和25年ころであったと思う。小千谷市の駅前に歯科医院が開業した。
「美人の女医で、親切だ」と評判になり、開院早々から繁盛しているというので、私も好奇心から通院するようになった。
左側下歯を治療してもらい、金冠を施してもらったのであるが、最近まで残っていた。
このほかあちこちの歯医者さんから治療をしてもらったことがあるが、2,3年もすると駄目になってしまう
。こんなわけで本当に上手な医師であったと今でも感謝している。
父親と娘の二人だけで、毎日通っているうち父親と親しくなり、木津の池で鯉釣りをした楽しい思い出もある。  昭和44年与板町にいたときは、長岡市の歯医者まで通った。
ここは非常に客が混み午前6時のバスで出かけても一日がかりになってしまう。
何とか順番を早める方法はないものかと考え、奥様に山菜や筍を持っていったりして親しくなり、住宅の玄関から中に入り、住宅から医局へ直通という方法に成功したこともある。
また奥歯が痛み出したとき,抜歯即決主義で知られた脇の町の歯医者で抜歯してもらった。
老齢の元軍医で、処置が早いことで評判であった。仕事の関係からだらだら治療していることはできないと思って、左右の下歯大臼歯を一気に抜いてしまったのであるが、これは失敗だったと悔やんでいる。奥歯で物を噛むことができないからである。
昭和61年に入ってまた歯が痛み出した。親切丁寧だということで西大畑町の医院に通う。 父親と若夫婦3人で開業している。
なるほど親切丁寧であることは間違いないが、3時間も待たされて治療は2,3分 またこの次では話にならない。
そこで治療の早いことで有名な南浜通の歯医者に変更した。ここは早い。2,3回で治療は終了するが、1ケ月位で駄目になってしまう。何でも歯医者のせいにしたくなるが、毎年馬齢を重ねているのだから歯が弱くなるのも当たり前であろう。  
平成15年に入ってから予告なしに右側の下歯3本が動き出し、ものが噛めなくなったので、左側だけで噛むようになった。3月に入ってから左側の下歯も痛んで、ご飯も噛めなくなり、前歯だけで噛んだり、流動食の生活が始まった。  
私は持病のため、この25年来毎月一回市民病院へ通院している。
過日診療の際、看護師に「眼に、腹に、歯まで痛んでどうしたらよいだろう」と愚痴ったところ、歯は早く処置したほうがよいと言われ、病院の歯科口腔外科へ通うはめとなった。  
通院初日 右側の下歯3本、1週間後には左側の2本も抜かれてしまい、虫歯は一挙になくなってしまった。
今までの町医者の処置とは全く違う。さすが大病院である。
レントゲンにしろ歯科機器にしろその設備には驚き桃の木である。
こんなことなら何でもっと早く来なかったのかと後悔することしきりである。
「コーカイは先に立たず」とはある先輩に言われた言葉である。現在上歯14本、下歯7本もう虫歯とはサヨナラをしよう。

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