高齢者虐待問題を考える
れんげ
2003.8.3
1 現在、吾が国では世界に類をみないスピードをもって人口の高齢化が進行しております。
御承知の通り、高齢化率(65歳以上人口が全人口 に占める割合)が7%を超えた社会を高齢化社会、14%を超えた社会を
高齢社会と一般に定義づけられております。
吾が国では昭和45年に7.1 %となり高齢化社会を迎え、さらに平成6年に14%を超し高齢社会へ
突入しました。この間24年しか経っておりません。
フランスでは114年 、スウィーデンでは82年、オランダでは64年因みにアメリカでは高齢
社会は到来しておらず、11年後と推定されております。これは69年経 って高齢社会が到来することを意味いたします。
ヨーロッパ諸国が高齢化への対応に長い年月をかけ試行錯誤を重ね施設や社会的システム、スタッフの養成等社会的蓄積があるにも拘らず世界高齢者虐待問題シンポジームが昨日(8月2日)東京で開催され
た処をみますと、この問題が一筋縄ではいかない課題であるこが覗わ れます。
かって吾が国では自分の実子を虐待したり、殺害すること等有り得ないという思い込みから、事件化するまで表面化しなかった経緯があります。現在では法整備、社会的支援システムが整いつゝあ
ります。
私にはかねてから、「何故だろう?」と思っていたことがあ ります。
それは、高齢者が三世代家族等同居している場合の方が独居 老人世帯だけの場合と比し、圧倒的な自殺率の高さであります。そし
てその理由が若い人に迷惑をかけたくないから・・・と遺書を残す場合あり、無い場合もありですですが、残された遺族のことやプライバシ
ーの問題やら、警察等変死事件等を処理ところから、情報が公開されることはありません。これはこうしたことに対処する法整備がなされていない現状では当然なことだからです。だが、私達、日本人にとっ
ては、家族は家族愛があり、支え合って、思いやりがあるものとの思 い込みがないだろうか?
家族機能が劇的に変化した今日、老親をその 子供達が支えるのは、並大抵のことではありません。誰もが80歳、90
歳まで生き得るということは、誰もがちょっとしたきっかけで、寝たきり、痴呆状態に陥ることを意味しております。
2 技術革新の著しい現在、また、永い年月を要する伝統的な技術、技能 を後継者に伝承するのは、高齢者の誰でもが出来る容易でない上、承継を受ける若い世代も少ないだろう。 だが、誰でもが人生一回限りであることは言を要しません。高齢者 には何十年と生きてきた実績があります。そこで得た体験、体験に裏 うちさたものの見方、考え方を次世代に如何に伝えるか、特に戦争 を知らない世代が世の中枢となっている現在、世相も人々の意識も右傾化して来ていると考えます。
戦後GHQから齎らされた「戦後民主主 義」は長い歳月のもとで培われてきた価値観を否定した上で成立って
おります。それを普遍的価値観とみる社会システムの中で成人となり 、人の子の親となっております。
私のように敗戦を挟んで学童期を過 した年代の者にとっては、今でも充分に通用し、むしろ、それを欠い
ているが故に今日、社会的病理現象が惹起されているのではないかと 思えるものもあります。
例えば、「敬うものを喪失したのでは?」「 自由を主張する為には、義務を果たすことが裏腹となっていること」
等今日でも充分通用する理念です。
吾が国では、高齢者問題が高齢者でない世代の人々から、主として財政面から論議されているように見えるのは、私だけでしょうか?
そして、財政面の理由から、施設福祉から在宅福祉への流れが出来 つゝありません。介護保険は導入されましたが、介護施設に入らなけ
れば、生きていけない状態で入れる保障はありません。従来の措置制 から契約制度に切り替えたのを、利用者本位への転換と評価する人々もおります。規制緩和と関連づけ、供給側の株式会社の参入も盛んです。
だが、一番切実で手間隙かかる「痴呆老人を受け入れる施設」は 「グループホーム」なども偶にはみられますが、毎月の入居費の他一
時金が求められ等、その人らしい人生が全う出来る自律と発言の機会 を保障する社会の実現に向け活動することが、前期高齢者(65歳〜75
歳)の内で、また後期高齢者でも元気な人達に課せられた大きな役割だと考えます。
また、高齢者が人口の中で占める割合が高いだけに、大きな存在と なり、主人公である高齢者を抜きに、高齢者問題は語れられなくはず
です。高齢者自身が現在の社会での貢献度を尺度とする価値観から、まず、自らを解き放すという意識改革を持つことから始めませんか!